2011年10月6日木曜日

AIR JAM 2011

帰ってきてすぐにでもあの日の衝撃をブログに書こうと思ったけど、なんか上手く書けないだろうなと思い、ずっと書けずじまい。
文才が無いので備忘録的にあの1日を。


2011.09.18 横浜スタジアム

超晴れた。

関内駅を出た瞬間からバンドTシャツきた人で溢れてる。
ハイスタ・ブラフマン・マキシマムザホルモン・ハスキン・FACT等々。
しまいにはSHERBETのTシャツ着てる人もいる。
結構年齢層は高そうに見えるがそりゃそうだ、俺ももう32歳だ。
最初に行ったAIRJAMは1997年で14年前だ。

みんなが向かう先は横浜スタジアム。

迎えたのは「届け!」と書かれたゲート。
そして、アリーナとスタジアムとファミリーの3種類のチケットに分かれてリストバンド交換に並ぶ。

入場
入場1 入場3
もうテンションあがってきた。

一番前のブロックに運良く入れた。
しばらくすると自分のいるブロックは入場制限。

そして、時間が来た。
ハイスタの難波章浩登場。
「元」ハイスタの、ではない。
ハイスタの、難波章浩。
あとMCの二人も登場。
注意事項等の説明する。

「体力に自信無いヤツは前に来ないで。」
「体力に自信有るヤツはドンドン来いよ。」
「その代わり怪我したら自分で医務室に行け。」
「ファミリー席は子どもから目を離さないこと。」
「ミュージシャンの権利を守りたいから撮影禁止。」
「俺たちは日本の為に集まった。」

そんな感じのMCの後、いよいよ開演。

ライブハウスのそれとはケタ違いの重低音。
ベース・バスドラの音に合わせて体中が痺れる様な重低音。

すでに鳥肌全開。

磯部正文BAND登場。
HuskingBee時代の「8.6」「Walk]で1バンド目から泣けた。
懐かしい。カッコいいわ。

その後も熱いライブが続く続く。
詳しくはこの記事を読んでいただきたい↓
ナタリー 11年ぶり「AIR JAM」でハイスタ復活「また来年会おう!」
俺なんかよりよっぽど分かりやすく、写真も満載。

一番印象に残ったのは、というか、感動したのがBRAHMANのTOSHI-LOWのMC
「いつもはライブが終わったら死んでもいいと思ってたけど、今日だけは次のバンドが観てえ」
からのハイスタ登場。
「STAY GOLD]

周りのみんなもそうだったと思うけど、泣いた。
嬉しくて泣きながら楽しくて笑いながらジャンプしてモッシュした。
BRAHMANの時からモッシュは激しくて体中痛かったけど、ハイスタの時はもっとすごかった。
スタジアム全体がうねりを上げて揺れて歌っていた。
ハイスタはピカピカのままだった。
横から2

ハイスタの横山健が「冗談みたいだけど、俺たち日本の為に集まったんだぜ。」と言ってたように、大震災と福島原発メルトダウンで元気を失っていた日本の為にハイスタは復活した。
ハイスタは新曲をやったわけではないので、これからどんな活動をしていくのか分からないけど、反原発にどんなアプローチをしてくるのかにも注目だね。
来年の東北AIRJAMを告知しつつ、あっという間に終演。
終演後も「Mosh Under The Rainbow」がBGMで流れ、それに合わせてモッシュが始まってもうグッチャグチャ。
それでも終わりはやって来る。帰りたくねぇ!ってなりながら人で大渋滞したスタジアムを帰る。


そんな感じで今年の夏は終わった。

とにかく、すごかった。

なんちゅーか、でっかい宇宙船みたいだった。

すごかった。